ふう
荒波に揉まれていました
猛暑でイライラして変なスイッチが目覚めたのか
怪獣ぶりもいいところだった娘
私は雷おばはん
こんなかわいい愛しい我が子に
イライラ止まらず雷落としまくる自分にひく
2人の間に稲妻が走り続けていました
息子と3人の生活が板についてきたところで
新鮮さはもうなくなり
色々な変化を感じ始めた娘は改めて赤ちゃんかえり
息子への嫉妬をむき出しにして
ほっぺを引っ張る引っ掻く
べしべし叩く足でける
上にのっかる
私はそれで猛烈に怒るのだけれど
そうすると矛先を私にむけて暴力をふるう
そしたら私もまたぷちん
何か気に入らないことがあると泣き叫び
いやいやいやいやーと本人も何がいやかわからないくらい暴れ
モノを投げる
もう手のつけようがない
こんな日が毎日続き
旦那さんは激務の1週間で朝早く夜遅い
心身ともにこてんぱんになって
遂には蕁麻疹がでてきて
疲れて寝たいのに痒くて寝れない
つらいー
怒りたくないのに怒ってしまう
仲良くしたいのに出来ない
悲しくてたまらない
娘の心は今とても複雑
心が満たされずフラストレーションがたまり
そんな心を表現できないから爆発して発散するしかない
好きだけど腹がたつ
やってはいけないとわかってるのにやってみる
あまのじゃくな態度
親として私が出来ることは
たくさん抱きしめて
伝えるべきことは伝えて
あとは待つことしかできない
わかってるのに出来ない
自分の未熟さをひしひしと感じ
どうしたらいいのかわからない暗黒の渦に突入
こんなときはSOSしかない
腹割って話せるママ友に愚痴をきいてもらい
一緒やでーこんなんしてみたらーなどと安心させてもらい
そしてなによりも心強かったのは
このタイミングで両親がはるばる日本から来てくれたこと
前々から予定していたのだけれど
本当に必要なときに側にいてくれる
こんなにありがたいことはない
さすがのじーじとちゃーちゃん(ばーば)
なんでも好きなようにやりたい放題させてくれて
愉しいことしかないような毎日
不機嫌な目つきにキラキラの輝きがもどって
笑顔も溢れて
全身が生き生きしていた
我儘も言いまくってたけど
それを聞いてくれる存在がいることに安心している様子
そうやんね
全てを受けて入れてくれる存在
それが必要やったんやんね
ああ
よかったよかったよかった
本当によかった
私もゆっくりさせてもらい
母と喋りまくってすっきり
体調も戻ってほっ
状況が好転しました
本当に両親さまさま
今までも感謝してもしきれないくらいだけれど
今回は最上級の感謝です
親子共々救ってもらいました
ありがとうー
今日からまた日中3人の生活に戻って
どうなるかわからないけれど
3人一緒にベッドに転がって
娘とぴったりくっついて抱き合ったり
頬を撫でて気持ち良さそうに眠りに落ちる姿をみてると
なんじゃかんじゃあっても
私たち愛し合ってるなあ
一生懸命生きていこう
そんな気持ちになれるのでした
*****
石井ゆかりさんの魚座の占いに書いてあったこと
あまりに今の状況にぴったりでしっくりきたのでメモ
○「今起こっているのが良いことか悪いことかなどということを越えて、
あるべき方向にのしのし向かっている」
という感じがするものです。
でも
もし今、大きな船に乗せられて、
自然に進んで行くように感じられたとしても
その船を進めているのは
あくまで貴方自身の闘いであり、模索であり、
愛であり、創造なのだろうと思います。
○愛するということが
相手の幸福のために生きる
ということであるとすれば
相手の幸福と自分の願望が拮抗した場合
私たちは、自分自身の願望と戦うことになります。
あるいは
「自分がやっていることは、本当に相手のためになるのか?」
という、どこにも「正解」のない問いに
ずっと向き合い続けることになります。
ゆえに
真剣な愛を生きている人や
本当に好きなことに取り組んでいる人は
たいてい難しい顔をしていますし
苦しそうでもあります。
それでも人間は何かを、誰かを、愛そうとします。
そして、その苦悩が何らかの形で報われる、
そのことへの希望を持ち続けます。
希望と願望の違いは、
希望には「具体的な答え」はない
ということです。
いつか光あふれる時間が来る、
という思いは、決して
その「光」が何によってもたらされるのかを、限定しません。
「なにかはわからないけれど、なにかいいものがくるだろう」
というのが「希望」なのだとして
今週、あなたが愛について長いこと抱いてきた希望を
叶えられる場面もあるのではないかと思います。